船井保育科長ブログ

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ラプラスの悪魔(2)

投稿日:2009年3月4日|カテゴリー:

ラプラスの悪魔の正体を知ると、これはまさにA・C・ダントー(Analytical Philosophy of History  1965 <邦訳『物語としての歴史』 1989> の著者)が引き合いに出すあの「理想的年代記作者」ではないか、とちょっとした「発見」をしたような気分になったのでした。しかし、そんなことがあるはずもなく、科学哲学者の野家啓一がすでにその著作の中でこのことを指摘しており、以前にそれを目にしていた私のおぼろげな記憶が反応したに過ぎなかったことにすぐに気付きました。野家は『物語の哲学』2005で次のように述べています。

「ダントーは物語文に対立する者として「理想的年代記(Ideal Chronicle)」という概念を提起している。それはラプラスのデーモンになぞらえられるような超人的能力を備えた理想的な年代記作者によって執筆される詳細な歴史記録であり、以下のような特徴を持っている」

それに続けて河本英夫訳『物語としての歴史』から、ダントーの次のような文章を引いています。

「彼はたとえ他人の心の中であれ、起こったことすべてを、起こった瞬間に察知する。彼はまた瞬間的な筆写の能力も備えている。「過去」の最前線で起こることすべてが、それが起こったときに、起こったように、彼によって書き留められるのである」
ようするに、あらゆる事実を書き留め得たとしても、この理想的年代記作者は複数の出来事を一定のコンテキストの中に位置づけて関連づけることはできません。彼は遡及的に過去を再編成するような語彙は持たないからです。よくあげられる例で、30年戦争が勃発した時点の1618年では、その戦争を「30年戦争」と呼べないということがそうした事情を物語っています。超越的視点からとらえられた「事実そのもの」は、それ自体では歴史の中に場所を持たないということになるのでしょう。
ところが、です。今回確認のために上述の『物語の哲学』の「増補新版へのあとがき」を読み返してみて、また自らの記憶力の弱さを痛感してしまいました。野家批判の論客のひとりである上村忠夫が、歴史のヘテロロジーの立場から野家の「物語り論」にたいして根本的な疑問を投げかけていることを、ほかならぬ野家自身がすで語っていたのでした。「私がダントーの「理想的クロニクル」作者を「ラプラスのデーモン」になぞらえたことを乱暴なアナロジーと断じ(この点についての上村氏の批判は正しい)、理想的クロニクルとは「歴史叙述にとっての前構成的な可能性の領域であって、そこには、今では「記憶されぬもの」や「語りえぬもの」となってしまった「歴史の他者たち」の経験もふくめて、過去に起こった出来事のいっさいがありのままに記録されているのではないか(上村『歴史的理性の批判のために』第2章「「理想的クロニクル」再考」2002)」というのがその該当部分なのですが、あっさり「ラプラスの悪魔」と「理想的年代記作者」をアナロジカルに対置させることは乱暴であったと認めているではありませんか。結局、「発見」でも何でもなく、またぞろ「前構成的な可能性の領域」という、私にとっての「未知の領域」に足を踏み入れることになってしまっただけのことでした。

ラプラスの悪魔(1)

投稿日:2009年2月27日|カテゴリー:

少し前から「歴史の物語り論」に少なからぬ関心をいだいています。ですから「言語論的転回」とか「物語り理論」などの言葉には敏感になっています。先日、鹿島徹という哲学者がヘーゲルの歴史哲学を「歴史の物語り理論」を解釈枠組みとして読み直すという試みを、今から10年ほど前に行っていることを知りました。それは現象学・解釈学研究会編『歴史の現象学』1996という本の中に納められた「歴史の物語としてのヘーゲル歴史哲学」というテーマの論文です。
手に取ってはみたものの、この論考はテーマがテーマだけに扱う問題が大きく、「歴史叙述の遂行論的分析」や「歴史認識の方法論的基礎づけ」といった問題関心を超え出てしまっているように思えました。鹿島徹についてはどうやら別の論文をあたった方が良さそうだと思いつつ、別のページに目を移すと、この本の中には谷徹の名前もあがっていました(「自然と歴史 ―生と世界の現象学的考古学―」)。この谷徹の論文もやはりまた、現象学における自然と歴史の議論を扱ったもので、不勉強な私には難解の一語に尽きるものでした。でも、なんとか最後まで読み終えることができたのは、論文で展開されている内容とは直接関係のない、冒頭ページの「ラプラスの魔」という文字に目が止まったからでした。何かひとつのことが気になると、本題をよそに脇道に入り込んでしまうという、学生時代からの悪い性癖が頭をもたげたのでした。
ちなみに、ラプラスの悪魔(Laplace’s demon)とは、1827年に77歳で没したフランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された、物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念です。ラプラスの主張は、「もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつ、もしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えている」というもので、量子論登場以前の、ニュートン物理学における演繹的な究極概念、因果律の終着点といわれています。
(つづく)

Pierre-Simon Laplace

Pierre-Simon Laplace

北京五輪

投稿日:2008年8月15日|カテゴリー:
古代オリュンピア競技場

古代オリュンピア競技場

北京五輪8月14日の男子体操個人総合で内村航平選手が銀メダルを獲得しました。鞍馬での2度の落下でライバルたちに大きく水をあけられ、とうていメダルには手が届かないだろうと思われていただけに、その後の3種目で着実に挽回し、みごと第2位の栄冠を勝ち取ったときには、TVの前で観戦していた人々の間に大きな感動の渦を巻き起こしたにちがいありません。「どんな苦境にあっても諦めずに努力すれば必ず栄光を手にすることが出来る」という、たいていは結果のともなわない「なぐさめ」や「はげまし」に終わってしまうフレーズを現実のものにしたのはやはり「快挙」以外のなにものでもありません。

ところで器械体操はドイツのF.L.ヤーン(1778-1852)が創り出したTurnenを近代オリンピック種目として取り入れたものです。ヤーンはTurnenを国民国家における愛国教育のシステムとして創出したのですが、その機能の一部は200年近くを経てグローバリズムが喧伝される今日においてもなお、延命しているかのようです。オリンピックの勝者は相変わらず何処からともなく取り出された国旗を身にまとい、観客席からは国名を連呼する応援がおこなわれています。北京五輪は東洋で3番目に開催されたオリンピックというだけでない、なにかとても大きな時代の変化を告げているような気もします。

七夕

投稿日:2008年7月15日|カテゴリー:

七夕(たなばた=しちせき)は、季節の節目を祝う五節句のひとつです。五節句には七夕(7月7日)の他に人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、重陽(9月9日)があります。
もともとは中国で女性が針仕事の上達を願う祭りであったものが日本に伝わり、古来からある豊作を祖霊に祈る祭りと習合したといわれますが、その起源について確実なことは分かっていません。一般によく知られるのは、やはり中国由来の織女牽牛伝説ですね。
この時期、幼稚園や保育所の園庭では笹飾りが風に揺れ、七夕にちなんだ行事が行われます。私のゼミでも笹飾りを作ってみました。短冊に書かれた願い事はやはり目前の関心事=「就職」が多かったです。

笹飾り笹飾り