アンゴラを通して見た日中の通商外交|経済学部ブログ|名古屋経済大学

アンゴラを通して見た日中の通商外交

2005年当時のアンゴラの首都ルアンダ

先日の中日新聞に、「アンゴラ、日本式地デジを採用」という小さな記事が掲載されていた。アンゴラは、アフリカ南西部にある国で、中日新聞にこの国に関する記事が載ることはほとんどない。記事は、アンゴラが、今年3月から、首都ルアンダで日本方式による地デジの試験放送を開始し、その後本格採用する予定になっているとの内容であった。地デジの国際標準規格は、日本方式のほか、欧州方式、米国方式がある。アフリカ諸国は、歴史的に欧州の影響が強く、欧州方式を採る国がほとんどだと予想されていた。アンゴラを含め15カ国が加盟する南部アフリカ開発共同体(SADC)は、地デジに関しては、欧州方式を原則としながらも、加盟国が個別に規格を決めることにしていたとはいえ、SADCの最有力国である南アフリカ共和国が欧州方式を正式採用するなか、アンゴラがアフリカで初めて日本方式を採用するというのは、一見すると、日本とアンゴラの経済関係の緊密さや日本のアンゴラとの通商外交の成果のようにみえる。しかし、実際は、2006年に日本方式導入を決めたブラジルが、同じポルトガル語圏のアンゴラに日本方式を採用するよう強く働きかけた結果のようだ。

上海万博アンゴラ館

アンゴラは、1975年にポルトガルから独立したが、その後27年間にわたって内戦が続いた。内戦が終結した2002年以降、外資の導入によって経済の復興と発展を図ろうとした。特に、内戦と直接的な関わりを持たなかった日本からの投資に大きな期待をかけていた。2005年愛知万博への参加もアンゴラの認知度を高め、日本からの投資を呼び込もうという戦略の一環としての役割が大きかった。しかし、アンゴラの期待に反し、日本や先進国からのアンゴラへの投資はほとんど増加しなかった。また、日本でのアンゴラの認知度は愛知万博後も依然として低く、日本の新聞でアンゴラのことが記事になることはその後もほとんどなかった。
このような中で、アンゴラと中国との関係は、2000年代半ば以降急速に緊密になってきている。アンゴラの2008年の対日輸出は0.3億ドル、対日輸入は3.3億ドルに過ぎないのに、2009年の対中輸出は146億ドル、対中輸入は24億ドルに達している。2006年以降、中国にとってアンゴラはアフリカ最大の貿易相手国であり、アンゴラからの輸入は、アフリカ全体からの輸入の3分の1を占めている。これは、アンゴラからの原油輸入の増加の結果であり、アンゴラは中国にとってサウジアラビアに次ぐ第2の原油輸入先となっている。中国はアンゴラから原油を大量に輸入する一方、公営住宅建設などの巨額建設プロジェクトを請け負っている。このような関係の中で、昨年11月には中国の次期最高指導者に決まった習近平副主席がアンゴラを訪問し、両国の経済関係をより緊密化するための積極外交を展開している。

上海万博アンゴラ館にて

日本からは、昨年8月に外務副大臣が、南部アフリカ貿易・投資促進官民合同ミッションの団長として南アフリカ、ナミビアとともにアンゴラを訪れているが、中国の次期最高指導者の訪問と比較して、きわめて見劣りする。この5年余りの間に、アンゴラでは、中国の存在感ばかりが大きくなり、日本の影は全くかすんでしまったようである。また、日本においても、アンゴラとの経済関係の緊密化は、政府や企業にとって全く重視されていないようにみえる。愛知万博を契機に、アンゴラと10年近く関わりを持ってきた者としては寂しい限りである。アンゴラと日本の友好関係の進展のために個人でできることには限りがあるが、それでも昨年は上海万博のアンゴラ館訪問や東京で開かれたアンゴラ大使館主催の独立記念レセプションへの参加などを通して、アンゴラの友人達との交流を持つことができた。日本とアンゴラとの国レベルでの交流が飛躍的に拡大することは期待できないが、今後とも個人レベルでの草の根の交流を地道に続けていこうと思う。

牧野 香三